いろいろとおもうこと

どうも、
またまた期間が空いてしまって、
すっかり日記無精のffです。




さて、
この時期に日記を書くとすると、
やはり地震のことに触れずにはいられません。
地震津波、そして原発事故と。
未曾有の被害を起こしています。


僕をはじめ、
親戚や普段連絡を取っている友人は大きな被害に逢わずに済みました。


こういう文章を作っていると、
不意に思うことがあって。


先ほどの「知り合いは無事だった」旨の一文に
「運よく」を付け足しては、消したりします。


「運」という言葉とここで使うのは適切なのか?
この言葉を見た人は、
「いやー被害大したことなくてラッキーだったわー」
というニュアンスで受け取るのではないか?
そしてそれはものすごく不謹慎なことなのではないか?


正直言って、そういう気持ちは当然、ある。
でも言葉にしていいもの、
してはいけないもの、
そして、
していいかどうかは結局わからないものがあって、
どの言葉を選んだらいいのか迷うのは非常に情けないところです。


余震が未だに来る状況で、
それらに対して恐怖を感じたりすることさえ、
もっと大きな恐怖を感じている人に対しては冒涜になりはしないか?
色々な思いが頭をよぎって、うまくまとまりません。



言葉足らずだったり、
余計なことばかり多いことはわかっているつもりなので、
これ以上多くのことを書くのはやめにします。


綺麗で洗練された言葉でこのことを語るべきでもないと思うし、
そもそも、できない。
ただただ、悲しく思うし、一日も早い復旧を望みます。





と、ここからは純粋に「思ったこと」を書きます。



震災の日はちょうどバイトを休みにしていました。
祖母が定期検診の日で、母親とともにその送迎をするためです。


もしこれがいつも通りの出社だったら、
おそらくその日には帰れなかったでしょう。


震災の瞬間は訪れていた祖母の友人宅でした。
病院で検査中の祖母に届け物の用事を頼まれていたからです。
「お茶でも飲んでいく?」と言ってくれたので、
少し迷って、「じゃあお願いします」といたときでした。
その家は田舎の農家なので、広い庭、大きな田んぼを持っていて、
そこに避難さえすれば身の安全は確保できる状態でした。


もし「お茶はいいです」としていたら、
帰りの車の中でその瞬間を迎えていたはずで、
橋やら古い家屋の多い路地を通るそのルートは危険だったかもしれません。




しかし、「運よく」とばかりはいかないもので。




場所が茨城だったために、最初の揺れも大きいものでしたが、
余震もかなり頻繁に起こりました。
僕は地震というものに物凄い恐怖を感じていて、
普段も震度2とか3でもかなりビビってしまう人間です。


余震も止まず、道路も混んでいるだろうということで、
祖母の家に泊まることにしましたが、
夜中もひっきりなしに襲ってくる余震だけもかなり気が滅入ってしまいました。
今でも地震酔いに近いフワフワとした感覚があります。
被災地での人々の恐怖は僕には測り知れません。


その日の夜思っていたことは、
「人生って何が起こるかわからねぇなー」
「少しの判断で大きく変わることもあるんだなー」
という、
とても被災者の方には見せられないほどのんきなものでした。


地元の方ではないのに、仕事などでたまたまその場に居合わせてしまった人、
その逆でたまたま逃れることになった人、
そんな人の前では、
僕の「何が起こるかわからない」なんて些細なことです。
それ故にこんな内容を日記に書こう、と思ってはみたものの、
冒頭に書いた諸々の思いがあって、なかなか書けませんでした。
今こうして書いていても、進まないのなんの。



色々なことがあるとは思いますが、
こんなことをぐちぐち書いているくらいだったら、
無力な自分を呪うくらいだったら、
普段信じてもいない神に祈るくらいだったら、
節電やら募金やらもちろん日常の職務の全うなどやるべきことはたくさんある。


僕の中では思いをこういう場所で吐き出させてもらったので、
他にも色々と思うことはありますが、
次回からはいつもの感じに戻ります。



いつもにもまして読みにくい文章だなーこりゃ。