ユナイト・ナイト

どうも、1歩進んで2歩下がる
ffです。




仕事のことに触れると気が滅入るので趣味のことでも。


最初はただの付き合いだったものの、
回を重ねることに飲み込まれていき、
今ではすっかり好きな趣味の一つになったプロレス。


日曜はいつものキチガイ先輩たちと観戦してました。
かなり大事な一戦があったのでした。




その名も『ベルト統一戦』
言うならば、至宝の奪回。
借りパクされたドラクエを取り戻すようなものと言えばわかりやすいかもしれない。




事の発端はブロック・レスナーという男。
まるで絵に書いたようにボコっと出た筋肉を持つガイジンだ。
この男に新日本プロレスの至宝、IWGPベルトが渡ってしまった。
最初はそれを取り返すべく挑んだ新日本の選手を王者として向かえうち、返り討ちにしていた。




しかし!




2006年7月、挑戦者棚橋弘至の前にレスナーは現れなかった。
俗に言う“ドタキャン”だ。
これは“棚橋待ちぼうけ事件”と呼ばれ、新日本の歴史に大きな影を残した。




その後もレスナーは現れず、完全にベルトを持ち逃げする形になった。
そんなレスナーに業を煮やした新日本は彼の権利を剥奪し、棚橋弘至を正式なベルト保持者とした。
これが俗に言う“キレてレスナーを斬る………いや、キレてないっすよ。俺キレさせたら大したもんですよ”事件である。




レスナーが母国にお持ち帰りした3代目のベルトに代わり、
封印していた2代目のベルトを復活させて棚橋に与え、正式なものとしたのだった。
簡単に言えば調子に乗っちゃった3人目の彼女を捨て、2人目だった元カノと元鞘するようなものだ。
残念ながら俺は3人も付き合ったことがないのでよくわからないけど。




そうした暫定措置でどうにか非常事態を凌いだものの、レスナーにベルト返還の意思はない。
それどころか今は新日本とは全く関係ない団体に出場し、
こともあろうにそのベルトを賭けた試合を勝手にやりだすキチガイぶり。
団体もベルトの権利も関係ねー!と言わんばかりのレスナーの行動は、
『小島よしおか!』とタカトシのネタにされたとかされないとか。




しかも、その試合でレスナー敗北。
ドラえもんから道具をもらったのび太からその道具を奪ったと思ったらジャイアンに取られたスネ夫みたいなものです。
勝手にベルト持ち逃げ、勝手にベルトを賭け、勝手にベルト取られたという構図。




レスナーに勝ち、ベルトを手にしたのは元金メダリストのカート・アングル
アングルは新日本に1度だけ参戦したことがあり、その強さと紳士的な姿勢はファンの記憶に残っていた。
『カートならベルト返還してくれるだろう』
誰もが思う。


しかし彼は言った。




『このベルトは俺のもの。俺こそが真のIWGPチャンピオンだ!』




この発言は多くの新日本ファンを失望させ、
“アングルお前もか”は去年の流行語大賞にノミネートされる勢いだった。




そんな混沌とした状況にケリをつけるべく立ち上がったのが現IWGPチャンピオン中邑真輔だった。
2008年1・4東京ドームでライバルの棚橋弘至からベルトを奪取するとアングルに宣戦布告。
二つに分かれたベルトを再び一つにする統一戦だ。
これは“1・4統一宣言”と呼ばれ、アングルもそれに同意した。





長きにわたるベルト問題を決着させる為の戦いだったが、
これは逆にベルト完全流出という最悪の危険性を孕んでいた。




そんな大事な2・17両国決戦でした。
まさに絶対に負けられない戦いがそこにあったのだった。




前フリが長くなったので、結果を端的に言うと、



勝利しました。




いやーよかった。
アングルの必殺技アンクルロック(決してシャレではないハズ)を耐えた中邑が必殺の腕ひしぎ逆十字固めでタップを取ったのだった。




決め台詞の、
『一番スゲェのはプロレスなんだよっ!』
も恥ずかしげに決め、統一を成し遂げた騎士となった。




統一の夜は酒がウマイ。
お約束通りなんて間違っても言ってはいけないのである。
真輔は実力でベルトを統一したのである。
セクハラも進むってものだ。





日曜であったため、
先輩の『みんテニやろーぜ』の誘いも泣く泣く断り家路を辿る。
そして松屋に寄って統一の夜は過ぎていくのであった。




松屋豚めしがウマイ。